槍ヶ岳

槍ヶ岳

上高地から槍沢へと入り、槍ヶ岳を目指していました。長い長い登り坂。コースタイムは9時間を超えます。山行が長時間になると、ぼくは自分の心に潜り、日常の雑音に埋もれてしまった記憶へと意識を向けます。この日たどり着いたのは構造人類学の基礎を作ったレヴィ=ストロースさんの知見でした。

「各社会集団ごとに感情や価値観のバリエーションは驚くほど多様だが、それらが社会の中で機能しているのは

1.人間社会は同じ状態にあり続けることができない
2.自分が欲しいものはまず他者に与えなければならない

という2つのルールに基づいた循環システムが根本にあるからだ」と、レヴィ=ストロースさんは主張します。

生と死のサイクル=宇宙の循環の一部としてぼくらがこの世に存在し続けるためには、「絶え間ない自身の変化」と「惜しみない他者への贈与」が必要なんですね。逆を言えば、変化できず、与えなければ、人間という存在はこの世界で肯定されないということです。

槍ヶ岳を見上げ、吹き出た汗を拭うと、ぼくは自分へと問いかけました。恐れていないか? これまでを踏まえ変わっていくことを。大切なものを誰かに手渡すことを。

ちっぽけなぼくを見下ろしながら、槍ヶ岳は静かに微笑んでいるようでした。