品川神社


最近ずっと気になっていた品川神社を訪れました。千葉県の館山にある洲崎神社、安房神社からおよそ850年前に源頼朝公が招いた天比理乃咩命(あめのひりのめのみこと)が御祭神です。東京の南方の鎮守をありがとうございますと感謝を伝えると、本殿の裏にまわって欲しいという願いを感じました。

そこには板垣退助さんのお墓がありました。「自由」とは? 墓前で手を合わせていると、そう頭に浮かんできます。板垣さんがその生命(いのち)をかけて獲得しようとしたのは日本という国家における「制度的な自由」です。けれど、ここでの「自由」の意味はもっと根源的な、「魂の自由」についてのようです。

果てしない輪廻の間に発生する事象を魂はすべて記憶しています。生と死を重ねる度、感情や痛み、クセ、嗜好、幸不幸などが、身体的な経験を通して魂に刻まれるのです。にもかかわらず、人はそんな魂の記憶の大半を、意図的に忘却した上で繰り返し転生します。「魂の自由」とは、忘れてしまった自身のカケラ一つひとつを、できる限り、思い出すことなのではないでしょうか。

同じような出来事の繰り返しだったり、なかなか切れない縁だったり、物や人や土地などとの偶然の出会いだったりは、今の自分にとって必要不可欠な記憶を想い出して欲しい、取り戻して欲しいという、魂からの訴えです。自由とは知ること、想い出すこと。自らのエゴが振りかざす偏見(想いグセ)という不自由は、魂の記憶を取り戻すことで、振りほどくことができます。少しづつ、丁寧に、自身のエゴと魂の両方と対話を重ねるほどに、ぼく達の自由度は増していくのです。

おすすめ