八重山諸島

11月の終わり、八重山諸島の太陽には、まだ夏の香りが強く残っていました。冬服を脱ぎ東京から2000km離れた南国の空気を吸い込みます。小さな島国と言われる日本だけれど、北海道から沖縄まで、各地域にはまったく違う季節が同じタイミングで混在しています。そんな「あたり前」を改めて強く感じ、季節だけではない様々な「違い」を「同じ日本」というまとまりとしてくくることについて考えました。
土地の違い、気候の違い、文化の違い、言葉の違い、性別の違い、年齢の違い、違い、違い、違い・・・ ありとあらゆる「違い」に囲まれて、ぼくらは今を生きています。そして「違い」を感じる度、「違い」と「違い」の間に広がる空白を、喜びや、笑顔や、怒りや、涙で満たしてしまいます。こんな風に言うと、太古の時代から人間が抱え続ける喜怒哀楽に基づいた多くの問題は、「違い」によってもたらされていると誤解するかもしれません。けれど実際のところ問題とは、何かと何かを「同じ」だとしていくつかの「違い」をくくることで生まれてきます。誰かが「同じ」だとしてくくった「違い」のまとまりを、他の誰かが受け入れられないときに問題は起こります。国の領土問題などは典型的な例だと言えます。
何かと何かを「同じ」だと考える状態は刹那的で脆いです。些細な出来事によって「同じ」はバラバラに砕け散り、隠されていた「違い」の隙間には感情のうねりが流れ込みます。消えてとうぜん、幻のような「同じ」に執着し続ける限り、自分の今は常に感情に支配されることになります。相手との「違い」を受け入れられず、他の何とも「違う」自分自身であることの素晴らしささえ楽しめなくなるのです。
「同じ」に囚われ、「違い」を認められず、負の感情に支配されている限り、今は常に不自由です。自由とは、他との「違い」を認め、他の考える「同じ」との「違い」を尊重し、その上でその「違い」と心地よい距離を取ることで手に入れられます。
八重山でぼくはマンタと出会いました。ゆったりと空を羽ばたくように泳ぐマンタには、手を伸ばせば届く距離まで近づくことができました。体長2mを超えるマンタに寄り添い泳ぎながら、ぼくはマンタとぼくとの「違い」を感じました。ぼくの身体とは似ても似つかないしなやかさ、美しさと、めぐり合えたことを嬉しく思いました。