袖ケ浦

天国がありました。台風一過のこの日、澄んだ空気に朝陽がさまざまな彩りを与えて、見慣れた景色が息を呑むほどの美しさでした。空も、山も、川も、田んぼも、街並みも、車の往来も、金色のドレスを纏っているかのような輝きを放ち、穏やかさとぬくもりで溢れていました。
この20年、ぼくは、ぼくの中から響いてくる「声」に、耳をすませて生きてきました。魂とか、神さまとか、無意識とか、ワンネスとか、ハイヤーセルフとか、本当の自分とか、言葉は何でもかまいません。思考や感情とは別の、エゴ(小我)を超越した存在からの願い。その愛にできる限り寄り添おうと務め過ごしてきました。
もちろん、いつもそうできたわけではありません。自身の欲望を押し通してみたり、「声」を聞こえないふりをしてみたり、願いを勘違いしてみたり・・・ 地べたをのたうち回るような苦痛を選択したことだって何度もあります。それでも、ハッ!と「声」を想い出して立ち戻ったときには、「声」の主がいつも辛抱強く待っていてくれることに感謝を届けてきました。
「声」は繰り返し伝えてくれます。すべては自分自身がつくり出していること。良いや悪いなど無い。ただ、そのときの自分にとって必要な物事や人を、自らが眼の前に産み出しているだけ。信じて、受け入れて、自分がどれほど自分自身を愛しているか感じなさい、と。
「声」の主は、ぼくそのもの。スーパーで出会った態度の悪いおじいさんも、ぼくそのもの。調子を診てほしいと訴えてくる車も、ぼくそのもの。いつも限りない優しさを届けてくれる妻も、ぼくそのもの。何度伝えても執着を捨てきれない知り合いも、ぼくそのもの。ここ数年ずっと味わってきた身体的苦痛も、ぼくそのもの。ぼくがつくり出したこの日の天国の美しさも、ぼくそのもの。わたしも、あなたも、すべては、例外なく、ぼくそのもの、なのです。