出雲・大和

一生をかけ丁寧に育んできたものを、大切に守ってきたものを、すべて、譲り渡さなければならないとしたら、どんな想いでそれを受け入れるのだろう? もう一度そこから何をどうやって積み重ねていくのだろう? そんな問いにつき動かされ、ぼくは出雲から大和を巡る旅に出ました。出雲では出雲大社、稲佐の浜、御陵神社から韓釜神社を。大和では鳥見山霊畤と橿原神宮を訪れました。大国主命、素戔嗚尊という出雲の根幹に触れ、初代天皇である神武天皇の意思を手繰りました。
日本神話にある「国譲り」で語られる日本の大きな転換に、どうしても今を重ねてしまいます。地球の至る所が綻び、人も、自然も、激しく揺れ動いている今という時代。さまざまな価値観から生まれた「正義」と「正義」のぶつかり合いが厳しさを増す中で、自身の幸せを見失わないように生きるのはなんと難しいのでしょう。抵抗、迎合、どちらを選んでも強い痛みに襲われます。それでも、安定を望みながら変化し続けるという矛盾を抱えて、人は生命(いのち)をつないでいくしかありません。
旅の終わりにホテル最上階のスパへと足を運びました。露天風呂に浸かり外を眺めていると、三輪や橿原の街を朝日が照らしはじめます。循環と継承を繰り返し、休むことなく変化し続ける森羅万象。強固なエゴと矮小な頭脳で縛られた今を手放して、もっと自由に、もっと軽やかに、この世界での日々を楽しめたらいいのに。出雲を、大和を、「これまで」のすべてを、「これから」へとしなやかにつないでいく呼吸の仕方を、ぼくは思い出そうとしていました。