四川省 その2

四川省の旅も半分が過ぎ、ぼくは九寨溝へとやってきました。最寄の九寨黄龍空港からバスとタクシーを乗り継いで2時間半かかりました。道中、中国語がほとんどできないぼくに、運転手さん、乗り合わせた北京の大学生達、みんなが親切にしてくれました。誤解を恐れずに言ってしまうと、これまでの経験から「中国の方達は日本人に冷たい」という認識をぼくは持っていました。とんでもない偏見です。人はそれぞれ違う感じ方、考え方をします。今、目の前にいる人は、過去に会った誰とも違うというあたり前を、恐怖や不安から、ぼくはすぐに忘れてしまいます。いつまでたっても治らない、性質の悪い思考癖です。
ゲストハウスでも親切な友人ができました。青島、重慶から遊びにきていた中国人と、上海に留学していた日本人です。朝一番にゲートをくぐり、4人で冬の九寨溝を歩きました。何万年という時間をかけて作られた信じられないほど美しい光景を、共に驚き楽しみました。
全長が60kmを超える九寨溝内には、観光用のバスがいくつも走っています。時間が無い場合や、長距離の移動が億劫な場合にはありがたい仕組みです。でも、九寨溝をまるごと楽しみたいなら、自分の足でゆっくりと巡るに限ります。湖をつなぐ木道にあふれる音や香り、谷を渡る風とそれに応える水面のさざめきは、バスの中からでは決して感じることができません。
夜はみんなで食事をしました。宿の近くにあった店で鴨鍋をつつきました。重慶出身の女の子はおいしい物が好きらしく、店主と交渉して特別のソースを出させたり、具材を入れるタイミングを指示したり、テーブルの上を楽しそうに取り仕切ってくれます。
ふとしたきっかけから彼女が2008年の地震について話し始めました。四川省の東隣にある重慶市で暮らす彼女は、死者・行方不明者あわせて10万人を超えたあの大地震を、直接、体験していました。「あれから3年が経って街や道路は確かに復旧したけど、心の傷は一生なくならない」。さっきまで笑顔で食事をしていた彼女の顔は、今にも泣き出しそうに歪んでいます。
少しの間を置いて彼女は続けます。「日本も地震が多いんでしょう? もし何かあったら、わたし、できることは何でもするから連絡してね」。ぼくは「ありがとう。こっちでもまた何かあれば連絡してよ」と答えました。「またあんな地震があったらたまんないわよ。変なこと言わないで!」。そう叫ぶと、彼女は笑いました。ぼくらはみんなで笑い合いました。
あの夜から1ヶ月も経たず、日本で大地震が起きました。電話のつながらない家族や友人に連絡を取るためパソコンを開くと、英語と中国語の混ざったメールが届いていました。彼女からでした。ぼくは彼女の笑顔を思い出しました。笑い合ったあの夜を思い出しました。そして、「いつか日本においでよ」と返信しました。彼女が安心して日本に来られる未来を、ぼくらがまた笑い合えるその時を、あきらめないと約束しました。









