シルクロード その1

初めてソウルを訪れたのは13年前、あの時のぼくは、結婚という新しい生活形態に馴染めずいました。会社勤めのプレッシャーから、東京の喧騒から、家族や親戚とのしがらみから、逃げだすようにやってきたのがソウルでした。
滞在中、何か特別なことが起こったわけではありません。けれど、2泊3日のソウ ル旅行から戻り、成田空港からの帰り道で、ぼくは、会社を辞めること、東京から田舎町へと引っ越すことを決めてしまいました。胸の奥の方から衝動があふれ出て止まりませんでした。忘れていた自分を思い出すきっかけ。どうやらそれがぼくにとってのソウルという場所のようです。
今回、ぼくは冠岳山に登りました。冠岳山はソウルの南に連なり、週末にはたくさんのハイカーで賑わう山系の総称です。標高629mでそれほど高くはないけれど、急勾配の崖をよじ登る箇所がいくつもあって、高いところが好きな人でもかなりスリリングな縦走が楽しめます。天気の良い初夏や初秋には、トレッキング中の数時間、心を空っぽにできるような開放感を味わえるでしょう。
でも、この日のぼくは違いました。歩いているあいだ、ずっと、「炎」のことを考えていたからです。ソウルへ旅立つ前、冠岳山のルートを調べていたとき、この山がその形状から風水的に「炎」の気を持っていること、そして、14世紀後半、李氏朝鮮が現在のソウルである漢城へと都を移した際には、冠岳山の火気から街を守るために崇礼門(通称南大門)を建てたことを知りました。
ぼくは自分自身の気質を「炎」のようだと考えています。パッと点火しやすく豪勢に燃えるが、興味という酸素がなくなった途端に立ち消えてしまう。相手の想いを焼き尽くすエゴを持ち、関係すべてを灰に帰す行程に躊躇もない。そんなやっかいな「炎」との距離感について考えていたのです。
さまざまな物事へ激しく取り組み、自分以外の人達のため熱心に尽くすのが、最良な生き方であり、得意なやり方だと信じてきました。自分の中の正義で他人とうまくいかなくなったり、傷つけたりしても、それは、相手が悪いだけだと疑いませんでした。けれど、自分というイチバン身近な存在に対して、どうやらぼくは、とんでもない誤解をしていたようです。
ゆったりと、じんわりと、燃え続ける種火のようにありたい。自ら燃え広がるのではなく、傍にいてくれる人達が心地よい距離を保ちながら近づける、静かなぬくもりでありたい。冠岳山の頂上についたとき、ぼくは、ぼくの胸の奥で忘れられていたボクと、36年ぶりに再会しました。久しぶりに取り戻したボクは、信じられないくらい、心地よいぬくもりを保っていました。
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