釜山・大邱・慶州

「今」というのは不思議です。あたり前のようにここにある「今」は、膨大な時間が織り合わさってできています。「今」が「今」であるために、どれだけの出来事が起こり、重なり、つながってきたことでしょう。「今」に関心が湧けば湧くほど、「今」が遥か未来の出来事だったときに、どんな人達がどういった「今」を過ごしていたのかが気になりました。
戸籍を調べ、遠い親戚に訊ね、家系図をなぞりつつ、先祖のルーツへとつながる細い細い糸を手繰りました。その過程で、14世紀に先祖が手に入れた土地を山梨を見つけ、現在のぼくの苗字にもなっている氏が始まったその場所へと足を運ぶことができました。700年前の「今」を生きていた祖先の眠るお墓に手を合わせ、現在は石積みされた塀だけがかろうじて残る館跡をゆっくりと歩きました。
それから更にルーツを探りました。そして、直接の先祖は朝鮮半島から渡ってきたという手がかりを得ました。キーワードは「新羅」でした。4~10世紀にかけて朝鮮半島南東部に存在した新羅は、7世紀半ばには半島を統一し、以後に続く王朝のひな型になった国です。いつの年代に、どんな名前の先祖が、どういった理由で日本へと渡ってきたかは、残念ながら知ることができません。それでも、どうしようもなく新羅を感じたくなりました。
半島から九州へと流れてきたであろう先祖のように、博多から釜山まで船で渡り、その後は街を移動しながら新羅時代の史跡が残る山々へと登りました。釜山の金井城山、大邱の八公山、慶州の南山。どの山も新羅の人々にとって神聖な霊山だったと言い伝えられており、現在でも多くの人々が日々つどう特別な場所になっています。
冬の空気の澄んだ青に、山の稜線がくっきりと浮かび上がります。山を歩きながら1500年間つながり続けてきた「今」へと想いを飛ばしました。頭の中へと溢れてくるさまざまなイメージには、喜びよりも悲しい色合いを多く感じます。笑顔よりも涙、ぬくもりよりも痛みが伝わってきます。「今」、ぼくは毎日を幸せとともに生きています。だからこそ、ぼくの「今」に溶け込んだ、ぼくが知ることのないたくさんの涙や痛みを忘れてはなりません。光が輝けば輝くほど、影はその深みを増すといいます。目の前の「今」が幸福であるということは、この瞬間へとつながるこれまでに、数え切れない程の辛く重たい「今」が存在した証拠なのです。
限りなく美しい新羅の山並みに向かい感謝の気持ちを伝えました。残りの人生と、未来のために、1つでも多くの笑顔を残すことを約束しました。









