寒川神社

ループの中にいる。最近そう感じることがあります。(本質的に)同じような出来事が繰り返し起こり、またか!と憤ってしまう。それはまるで、ぼくのことをぼく以上にわかっている存在が、これからをどう生きたら良いのか根気強く示してくれているような感覚です。自身の欲望(エゴ)と魂の願いにズレがあるとき、その事実をどうにかして知らせようと、さまざまな方法でサインが届いてきます。想いグセだったり、偏見だったり、弱さや傷だったりに、頭と心ががんじがらめになっている場合は尚更です。
ぼくが陥るループは、「他はバカでぼくは賢い」という、傲慢さと思い上がりから常にはじまります。バカも賢いも含めこの世のすべては自分でつくり出し、すべてが自身の投影でしかないのに、他への軽蔑を抱えつつ(藤井風さん的に表現するなら)肥溜めへと自らダイブしもがき苦しむのです。その度に「ほら、エゴがヤりたいヤりたいと駄々をこねることを押し通すと、決まってそういうひどい目に合う。いい加減にしたら?」と、魂は繰り返します。
エゴがつくるループから抜け出す方法はただ1つ。それは、エゴと正面から向き合い、とことん対話をし、何に執着しているのかを知ることです。全責任は自分にあります。誰も助けてなどくれません。逃げる場所も無ければ、休むひまさえ満足に与えてもらえない。疲れていようが、体調が悪かろうが、「バカはどっち?」と突きつけられる限り対話するしかないのです。今、自分自身と向き合うことが、何よりも必要なんだと、魂が、何度も、何度も、何度も、告げてくるのですから。
実に15年ぶりで寒川神社へと訪れました。前回は境内を漂う澄み切った空気が印象的でしたが、今回は以前にも増して研ぎたての真剣のような曇りのない美しさと厳しさを湛えていました。「相変わらずバカだな、お前」と、バッサリ切っていただけたようで、とても清々しい気持ちになりました。呼んでもらえるうちは、手を差し伸べてもらえるうちは、顔を見てもらえるうちは、まだ、大丈夫。もっと魂の願いだけを大切にしなくてはと、あらためて神さまと自分自身に誓いました。