鹿児島

16歳の春、1人で旅をしました。九州への旅でした。生まれてはじめて火山を見ました。山頂から絶えず噴煙を巻き上げる、今に息づく桜島を見ました。衝撃でした。「地球は生きている」と確信した瞬間でした。
あれから九州へは何度も足を運び、いろいろな場所と出会ったけれど、なぜか桜島には再会できずにいました。いつも遠くから眺めるだけで、ゆっくり語り合う機会を持たせてもらえませんでした。今回、20年の時を経てようやくもう一度、桜島と向き合うことができました。
「出会い」とはすべて教師だとぼくは考えています。心と身体の準備ができていない者には、その後の人生を豊かにしてくれる出来事も、人も、土地も、決して目の前に現れることはありません。何か望みを持っているにも関わらずチャンスが巡ってこないなら、それは周りが悪いのではなく、100%、自身の準備不足が原因です。逆を言うなら、準備ができれば「出会い」はすぐに向こうから大切なことを教えにやってくるのです。
久しぶりで会った桜島は以前と変わらず呼吸していました。ここ数年、地球環境の変化が問題視されています。けれど、50億年を越える地球の歴史の中で、この数千年ほど穏やかに安定し続けているのは稀な状態のようです。もしかしたら人間の存在など大した問題ではなく、地球は自らのリズムでずっと呼吸を繰り返すだけなのかもしれません。環境の変化は人類にとってだけの死活問題であって、地球にしてみれば、日々の営みにおける瑣末な事柄でしかないのかもしれないです。
夜明け前、鹿児島市の中心部にある城山の展望台に登り、太陽を待ちました。濃紺の桜島をしばらく見つめていると山裾から光が漏れはじめます。桜島に朝が来るのは、決して、あたり前のことではありません。地球の優しさと厳しさに寄り添う資格を、これからあとどれくらい人間は持ち続けられるでしょう? 1分でも1秒でも長く、地球の営みがつくり出す美しさを感じていられるようにと、ぼくは金色に染まる桜島に願いを伝えました。