燕岳(残雪期)

雪の残る急坂を登り燕山荘に辿り着きます。ベンチにザックをおろすと、弾む息を整えながら、目の前にたたずむ山々を見つめました。雲ひとつない澄み切った空の下で、燕岳は、静かにひかり輝いていました。
何度となく山に登っていると、その日その時、山に自分が受け入れられているかどうかを感じ取れるようになります。手招きをし、「早く登ってこい」と声をかけられているときは、過去、現在、未来を含めた自らの存在すべてを、山が抱きしめてくれているような安らぎを感じられます。
目には見えず、触ることもできないけれど、山との間に生まれるこんなつながりを、ぼくは生きるための大切な拠りどころにしています。自らの意思(エゴ)の及ばない山との関係には、確かなものが何もないからこそ、絶対的な信頼をもてるのです。
燕岳は繰り返しました。この世に生を受けたときと同じむき出しの自分。地位もお金も言葉も見栄も何も持たない、けれど、澱みのない「在る」だけで満ちていた自分。いつだってそこに答えがある、と。ぼくが今、ここに生かされていることの意味を、忘れてはいけない、と。



